忍者の里として知られる滋賀県・塩野村。服部織物初代、服部勘兵衛は近江の地より、京都・西陣に移り、織物業をはじめました。ときは天明年間(1781〜1789)。創業当初から、帯の意匠には大きな努力を傾けてきました。帯をつくる上で重要なポイントとなるのがデザインだからです。売れ行きの成否を決めるといっても言いすぎにならないでしょう。それだけにデザイン制作に当たっては情熱をもって取り組んできました。
当時の織屋は資本の力が弱く、その中にあって塩野屋の歩んだ道は、まさに茨の道でした。現在、西陣には、織屋が500余軒ありますが、その中で100年以上続いているものがわずか数件。熾烈な競争のなかで生き残るのがいかに困難なことであるかを物語っています。この厳しい業界において、服部織物は200有余年にわたり、帯ひとすじに営むことができました。
昭和52年京都府より「老舗」の号を拝受、また昭和57年京都商工会議所より顕彰されるなど数々の栄誉を受けました。それは何よりもすぐれた製品をつくり、お客様からの信頼を勝ち得たためであると自負しております。
Oomi, Shiono village in the Shiga prefecture, also known as the Ninja village. The founder, Kanbe Hattori moved to Nishijin, Kyoto from the land of Oomi and started textile manufacturing in the Tenmei era (1781-1789). We think the design is the most vital part of making obi and from the very beginning of the establishment; we have made all possible efforts to create highly wrought products. It’s not too much to say that design determine successful sale or not.
At that time, the textile industry was a low capital industry so that the tracks he trod on was nothing but a thorny path. Currently, there are approximately over 500 manufacturers in Nishijin and only a few of them have stood for over 100-years. This indicates how hard it is to survive in a competitive environment. However, we have managed to carry on this obi business over 200 years.
In 1977, we received the title of “SHINISE” which means “A shop of old standing” from Kyoto Prefecture, and in1982, we were honoured for our contribution by the Kyoto Chamber of Commerce and Industry. We pride ourselves on producing the finest obi and earning our customers satisfaction.
創業 天明8(1788)年、220余年の歴史を有す、京都・西陣の老舗帯屋「服部織物株式会社」の常務取締役。
金箔や銀箔を織り込む西陣本来の引箔(ひきばく)技法など、伝統の技を守りながらも、優れた意匠・品質を追求し、常に進化した作品を世に送り出している。
着物のデザインやプロデュースも数多く手掛けており、着物をはじめとした和の文化の素晴らしさを男性に感じてもらいたいという思いから、「男子着物を羽織る会(会長 小山 薫堂)」の顧問を務めている。